【このお話はフィクションです。6月の誕生石ブルームーンストーンと、ある女性の物語。】
2019年6月17日。今夜は、年に一度のストロベリームーン。
***
家を飛び出した私は、行く当てがあるはずもなく独り夜の公園にいた。
昨日の猛暑はどこへ行ってしまったのか、こんな薄着で財布も持たず飛び出してきてしまったことを深く後悔していた。
普通、彼女が部屋を飛び出したら追いかけてくるもんじゃないの??
追いかけてこない事にも、そもそも私をこんな気持ちにさせる彼に物凄く腹が立っていた。
ていうか、何で私が出ていかなくてはいけないのだ。
あれは、私名義の、私の家なのに。居候しているのはアイツの方だ。
やっぱり、サトウ君は良かったな。彼だったらこんな時、ちゃんと追いかけてきてくれる。
部屋を飛び出したとしても、5秒後にはパジャマのままサンダルをつっかけて急いで外へ出てくれるだろう。
いや、はなからサトウ君ならこんなシチュエーションになったりなんかしない。
昔の彼氏、完璧なサトウ君。
私の事を『お姫様』と呼んで、毎日髪をなでて、『綺麗だね』と1日に5回は言ってくれる。
私がどんなに不機嫌でもニコニコ笑ってくれるし、自分が悪くなくたってごめんねと謝ってくれる。
昔、本当に驚いたのは“ムカつく女友達にイラついている上に前髪を切って失敗してしまった”と不機嫌を当たり散らしている私に、
『君のイラつきを取り除くことが出来ない不甲斐ない自分でごめん。悔しい。』と言われた事だ。
ビックリしすぎて冷静になり、そして自分の幼さと我儘に恥ずかしくなってすぐに私は機嫌を取り戻した。
サトウ君は、いつも私を良くしてくれる。
誰か芸能人が言っていたんだけれど、『誰といる時が好きかではなく、誰といる時の自分が好きかだ。』が重要なんだそうだ。
だとしたら、私はこの短い30年間を振り返った時、即答でサトウ君が出てくる。
ていうか、サトウ君以外の彼氏なんてよく覚えてない。
どうして今の彼氏を好きになっちゃったんだろう。
あんなに魅力的に見えていた今カレは、付き合って2か月もたたないうちにイライラする相手に変わった。
もう私には、彼が昔ブルームーンストーンのように放っていた輝くような鋭い青い光が見えない。
ふと上を見上げると、雲が一面に広がり星はおろか月さえも見えないどんよりとした空が広がっていた。
サトウくんとは毎日、『今日は綺麗な月だよ』とか『こっちは曇ってて見えないなぁ』とか、同じ月を見ては話をしていた。
4年も続いた遠距離恋愛は、あっけなく終わった。
サトウ君は、新しい彼女、、無職でDV被害者という可憐な経歴を持つ、か弱くて『俺がいないとダメなんだ』という女性と結婚するらしい。
そうだよね。私は、誰もいなくても生きていけるほど強くたくましい。
当時私はそこら辺の一般男性より貯金もあり、同じ歳のOL達より断然高給取りだった。
色々思い出して急に孤独を感じ、スマホのライン画面をスクロールする。
沢山のリア充感たっぷりなアイコン、本名ではないアダ名ばかりの表記。
・・・誰も連絡できる人がいない。
なんてこった\(^o^)/
こんな時に、こんな気持ちの時に、私には連絡できる友達も、避難できる場所もない。
こんな気持ちの時、みんなはどうしているんだろう?
みんなこんな気持ちになっても、明日の朝には会社に行かなくてはならないし、嫌でも起きて働かないといけない。
だから何だかんだ思う事があっても、きちんと深夜1時には布団に入り、モヤつきながらもスマホを見て何となく過ごしそのうち眠りにつくのだろう。
・・・暇なのだ。暇だからこんなことでひたすらしょーもなく悩んで落ち込むのだ。
暇で悩める。こんなに幸せな事はない。
失意の中、友達とノリで買った宝くじで3億円が当たってしまうほど、私は幸運だった。
信じられなかったけれど、これが現実だとわかった時に私は長年勤めた会社を辞めた。
よく宝くじが当たると人生が変わる、なんていうけれど、私の場合はビックリするくらい何も変わらなかった。
質素な暮らしの私はきっと、この先、一生働かなくても済むだろう。
やりたい事も、夢も野望も特にない。
こんなにお金を持った今、口座の残高を見つめるたびに欲しい物が何一つないと気付く。
狭いワンルームでも満足だし、今ある服やカバンで十分満たされている。
自分でなりたいと思った事は一度もないけれど、友人は私の事をミニマリストと呼んでいる。
タワーマンションより田舎の平屋がいいし、プラダのハイヒールより駅で売っている安いスリッポンの方が履きやすい。
麻布の緊張するようなオシャレなレストランより、近所の陽気なインドカレー屋さんが好きだ。
豪遊したくとも一緒に飲みに行くような友達が、そもそもいない。
残高3億1672万4977円。・・・・・増えている。
あぁ。
世の中の人達はみんな忙しい。
私みたく、月が見えないだけで泣きたい気分になる奴なんかいないのだ。
指にはめた、ロイヤルブルームーンストーンのリングを見つめた。
ふらっと入った宝石店で買った指輪。
初めて、生活に必要のないただの飾りが欲しいと思って買った物だった。
あんなに青くギラつきを放っていた石は、月の光がない今うっすらと乳白色になり息をひそめている。
あの青い光は、一体どこへ行ってしまったんだろう?
『ブルームーンストーンには、気持ちを落ち着かせてくれる効果があります。月の石は、女性と深い関りがあるんですよ。』
そう言ってにこやかに接客してきた年配の女性を思い出した。
『恋愛成就の効果が良くうたわれていますが、実は予言と透視の石とも言われていて予知能力をもたらしてくれるとか。』
その柔らかい笑顔の女性の薬指には、何の石もついていないシンプルな銀色の指輪が鈍く光っていた。
『お客様は色も白くて透明感がある印象なので、この石はとてもお似合いだと思います。』
石の効果なんてどうでも良かった。初めから信じてなんかいない。
でもその石の色___大人しそうな薄い薄い霧の中に、ギラリと青く光る一瞬の色が、私を強く呼んだ。
『この石は、月明かりの下が一番青く輝くと言われているんですよ。』
目の前がぼやけてくる。鼻の奥が、ツンと痛い。
あぁ、私は一体どこで間違ってしまったんだろう?
まばたき一つで、この涙は払える。
それでも、負けたような気がするので絶対にこの涙を瞳から出したくなかった。
グッ、と頭を上げて空を仰いだ。
涙よ、このまま表面張力で耐えて蒸発しろ。
見上げた空には、さっきまで立ち込めていた灰色の雲はどこへ行ったのか、眩しい位の明るい満月があった。
あぁ。そうだ。
今夜は、一年に一度のストロベリームーンだ。
こんなに綺麗だったなんて。
涙の事なんかすっかり忘れて、私はぼやけた月をハッキリ見たくてまばたきをした。
生暖かい水が頬を伝う。
この美しい月を、もっともっと見たい。
思わず立ち上がった時、後ろから声がした。
「ねぇ。」
振り返ると、眩しい位の月の光を浴びて美しい顔を照らされている彼が立っていた。
一瞬、薄く、キラッと、___彼は青く光を放ったように見えた。
無言のままうつむき、ブルームーンストーンを眺める私の横に立った彼は小さな声で「帰ろうよ。」と言った。
私はこの石がもう一度強く光を取り戻し、私に何かしらの効果を与えてくれて____、
“誰かといる時の素晴らしい自分”を再び取り戻せることを祈った。
***
おしまい
***
コメント