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鬱病のみずきちゃんは今日も(まだ)死んでない。

※このお話はフィクションです。みずきちゃんは、今日も(まだ)死んでいません。

連載予定なので同じタイトルが今後も続きます。

***

薄曇りの金曜日の午後、僕は可愛らしい小さな一軒家のリビングで紅茶を前に軽くみずきちゃんに挨拶をした。

みずきちゃんは何故か一人でチョコミントアイスを食べている。

肩には小さなインコがちょこんと乗っていた。

自由…というか少し変わっている。

でも自営業の人というのは得てして変わった人が多いものなので僕はこの位で特に面くらったりはしない。

初めて会った時も、みずきちゃんは腰まであるロングヘアをかなり高い位置でポニーテールにし、黒と赤のシックなチャイナ服を着て真っ赤な口紅に太く長いアイラインを引き、10㎝位のヒールの靴を履いていた。

派手な化粧や洋服よりも、175㎝の僕より目線が上だった事の方が印象に残っている気がする。

パーティーでも何でもないただの有楽町のカフェにそのいで立ちで現れた彼女を見た時から個性的なのは分かっていた。

ブログ用のHPを作ってあげた縁で知り合ったみずきちゃんとは、もうすぐ7年の付き合いになる。

数年ぶりに会って話すことになったみずきちゃんは、少し痩せたように見えた。

『突然会いたいなんて言ってごめんなさいね。それにこんなに遠くの田舎まで来ていただいて。本当にありがとう。』

肩に乗った小鳥の頭をなでながらみずきちゃんは言った。

『いえいえ、僕も実家がこの辺にあるので丁度顔を出そうと思っていた時期だし丁度良かったです。』

『あら、そうなんですね。単刀直入に要点だけ言うんだけどね、私のTwitterが4週間以上更新されていなかったら、現在非公開に設定したブログページの物を公開の設定に変えて欲しいんです。

今回はそれが依頼で。これからしばらくはずっと私のTwitterを4週間に一度チェックしてもらって、Twitterの更新が止まったタイミングで公開の設定にしたら契約終了という事で。これがそのTwitterのアカウントです。』

渡されたアカウントは鍵垢で、会社の物ではなくみずきちゃん個人の物の様に見えた。

変な依頼だなとは思ったけれど、思っていたよりもかなり簡単な内容だったので直ぐに相互フォローしてツイートが見れるように設定し、契約書に判を押してその後はお互いの近況や田舎で出会った変なおばさんの話など楽しく会話をした。

別れ際にみずきちゃんが言った。

『非公開設定のブログ、斉藤さんならTwitterの更新が止まる前に別に見ても構わないけれど、出来れば更新が止まるまでは特に開かないでもらった方が良いかもしれません。』

『そうですか、わかりました。』

そう言ってサラッと別れを交わしたあの日から7ヶ月が経ち、現在みずきちゃんのTwitterの更新が止まってから3週間と4日が経っていた。

ここ数ヶ月なんてことない短いつぶやき(ねむい。晴れてる。寒い。あ。というような内容)を確認していたが急に『あ』すらツイートされなくなった。

あと数日したら非公開の設定を変更しなきゃな~なんて思ったら、なんとなく今ブログを確認しておこうかなという気持ちになった。

ブログには僕がログインして閲覧した記録が残る訳ではないのでみずきちゃんにはバレないし、別にもっと前から見ていたって良かったのだけれど。

非公開の記事って何を書いたのかな?と、本当に特に深い興味がある訳でもなくページを開いた。

 

***

【ステータス:非公開 公開状況:非公開 カテゴリー:ブログ】

 

Hi!私の名前は桐原みずき。29歳。

いや、もうずっと29歳を繰り返している気がするけれど、もうよく覚えていません。

誕生日を盛大に祝ってもらった28歳を境にもう誕生日の記憶があまりありません。

美しさと才能に溢れる私は、18歳で花の都東京に出ると持ち前の勤勉さと観察力、先見の明によって学生時代から大金を稼ぎ、20歳の頃にはかなり綿密な独立計画を立てていました。

そして23歳で事業を起こすとそれなりの成功とお金を手にしました。

29歳の頃には都心で暮らしながら2,000万円以上の貯金をし、優しい彼氏や友達、家族に囲まれて____

鬱病になりました。えへ♡

キッカケは、私の事を絶対に幸せにすると言いながら無職のメンヘラと結婚してしまった元々カレのような気もするし、

子供の頃から本心では愛してくれなかった母親のせいな気もするし、

このまま自営業で今のようにずっと稼いでいけるのか?老後にいくら必要なんだろうという漠然とした不安だったような気もするし、

お顔が大優勝なだけで大して何も努力してない友達の就職祝いや結婚報告だった気もするし、

昨日スーパーでたまたますれ違ったBBAに舌打ちをされた事かもしれない。

ともかくキッカケは一つじゃなくて沢山あった気がするのだけれど、本当はこれは鬱病なんかではなくて【本来の私の姿】なんだと思うんです。

だって私、既に小学校2年生の時には死にたかったし、この世は絶対に公平ではないし神様も存在しないし社会は腐っていると知った中学3年生の時に、精神は多分死んでいたと思う。

『頑張らなくていいよ』とか『無理しないでいいよ』と言われる事があったのなら多分20歳の時には肉体も滅んでいたと思う。

幸か不幸か、誰もそんな言葉をかけてはくれなかったので、鬼のように努力し血眼で必死に生きてしまいました。

まぁこの話は長くなるのでまた後ほど。

とにかく今は東京を離れて地元近くのド田舎に中古の一軒家を買って貯金で細々と暮らしています。

はい、仕事はしていません。

毎日好きな時間に起きて、寝て、食べて、テレビやネトフリを見たりペットの小鳥と戯れて過ごします。

お風呂はもう1週間も入っていません。

Twitterでよく鬱病になるとマジでお風呂入れなくなるって言ってるけど、あれって本当だったんだね。

今まで朝にシャワーを浴び夜にもお風呂に入っていた私が、こんな風になるなんて。

1週間に1度、食べ物を買いに行くためにほんの少し外に出ます。

自炊はしません。主にお菓子やカップ麺、菓子パンやファストフードで生活しています。

基本的にベッドかソファーの上から動きません。1日の歩数はトイレに行ったりするほんの数十歩です。

こっちに引っ越してきてから5㎏も太ってしまいました。

そんな老後みたいな生活を今からしてどうするの?と聞かれますが、多分あと2~3年のうちに死ぬので本当の老後は私には来ません。

だから今のうちに、味わうはずであった老後の生活をエンジョイしています。

あぁ、そうです。わざわざ実家の近くに家を買ったのは私が死んだ後の整理を家族がしやすいようにです。

親戚や地元の友人は私の事業が上手くいかなくなって金銭的な事で帰ってきたのだろうとヒソヒソ囁いていますが、多分みんなと同じくらい、もしくは皆さん以上に貯金はあると思います。

なのにそんな噂話されてニヤつかれてるかと思うと、プライド傷つくわぁ~。

でもそんな事すらあまり気にならなくなるくらい、今の私は感情消えてます。

まぁそもそも、東京で、しかも賃貸で死んだら片付けに凄く迷惑かけそうだからこの選択肢がベストだったとは思うの。

今のままのライフスタイルで行くと、私は58歳まで貯金で生活できるそうです。(わぉ!ヤッタネ!田舎って本当に凄い!)

年金って一体いつから貰えるんでしたっけ?

60歳?65歳?…あぁ、70とか75の人もいるんですか?

なんか、いつ貰うのが一番いいのか良く分かりませんねぇ。

まぁ自営業なんで厚生年金の人の半分以下の金額貰ったところで本当に生活できんのかよ、って感じですけどね。

あ、話がそれちゃいましたね。すみません。

そんなこんなで私は一日の大半をぼーっとして過ごし、全てに対して無気力で、どうでも良くて、早く消えたいと思っています。

出来れば生きたいと願う病気の子供と命を代わってあげたいけれど、そんな事は現実無理なので自分で自分の死を願うばかりです。

毎日毎日、本当に消えたいと思っています。

えぇ、アイス食べてのんびり小鳥をなでているこの瞬間も。

生きているというよりは“死んでいないだけ”な毎日を送っています。

でも、そんな私は時々ふとした瞬間に生き返ったりします。

短い間ですが。

そのほんの少しだけ生きている時間の記録を残したいと思ってこの日記、ブログを書いています。

いつか私がこの世から消えた時に、残された人が(いや、別に残されてないしその言い方なんかヤなんだよね。)これを読めば悲しくなる事がないようにしたくて。

どうして悲しくならないか?

それはこの日記を読んでいけばきっと分かります。

私は多分、どんな結末を迎えたとしてもきっと幸せだったのだと思います。

『死にたい』が『死のう』に変わった時、頭の中のモヤモヤが晴れてダルさもスッキリとし、全ての病気が治った気がした。

本当に目の前が明るくなって、初めて息が吸えた感覚だった。

そして明日が、希望に満ち溢れている気がしてキラキラ輝いているように見えたんだ。

死のうと思った瞬間、ただの田舎の景色がとても美しく見えたし、草花の香りをはらんだ風を心地よく感じ、今までの思い出たちの些細な言葉のやり取りにすら愛を感じられた。

死のうと思った瞬間に、全ての憎しみや苦しみが消えて、全てに感謝できたんだ。

それでは、私の日記、スタート。

#鬱病のみずきちゃんは今日も(まだ)死んでない。

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