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ケンタッキーなんて一人で食った方がうまい。

ケンタッキーが好きだ。

何でもない普通の日に独りで4ピース入っている得々パックを買ってしまうくらい好きだ。

だけど。

***

『明日、一緒にケンタッキー食べようよ!』

ウキウキした表情でそう言う彼に、私は引きつった笑顔で良いよと言った。

とっさに、嫌だという良い言い訳が出てこなかった。

わぁ~楽しみだなぁとのん気に言う彼を見て、キモイと思った。

まだ30歳だというのにでっぷりとだらしなく出たそのお腹が、生理的にどうしても受け付けなかった。

婚活アプリで見つけた今の彼氏は、次男で実家がそこそこ太くて大手企業で正社員、顔も服装も許せる範囲、部屋は清潔そのものでタバコもお酒もギャンブルもしない優良物件・・・のはずだった。

初めは良かった。凄くまともそうに見えた。

だがしかし。長く一緒にいればいるほどつまらないし価値観が合わなかった。

面白いと言われて勧められる映画は見事にどれもクソつまらなかったし、LINEのやり取りが1~2日に2~3通なのもときめかないし、このどうでも良いけど続けないといけないルールみたいな会話マジ何なの?と思っていた。

誕生日に神田の(ていうかこの星の数ほど素敵な飲食店のある東京で何故神田?)5,000円位のコースに連れて行かれ、誕生日プレゼントがjohn masters organicsの1万円位のセットだったのに、自分の洋服に1着6万もするニットを買って浮かれている彼を見た時から、価値観も金銭感覚も合わないと思っていた。

そう言えば、バレンタインをあげたのにホワイトデーには何のお返しもなかったっけ。

そしてそれを謝りもせずに『え、そうだったっけ?』と言って会話を終了させた鈍感さにも嫌気がした。

それでも別れずに引きつった笑顔で我慢しながら付き合っていたのは、この男の恋愛経験値の低さが関係しているだけで根が悪い人ではないと思っていたのと、

…安定したそこそこの収入の人と結婚して専業主婦になり扶養に入って安心したかったから。

年収約220万ボーナスなし、都内で独り暮らしの28歳派遣OL。

どうしても、結婚したかった。もう1㎜だって働きたくなかった。

私は疲れ切っていた。

***

『結婚なんて我慢の連続だよ。ずっと好きみたいなのは幻想。』そう言ったのは地元の友人、結婚7年目のリサだった。

20歳でデキちゃった結婚(令和では授かり婚って言うんだよね。でも私は一生デキ婚って言っちゃうと思う。)をしたリサは、離婚する事なく2人の女の子のママになっている。

順調な関係かと思いきや日々色々あるらしい。

他人の家の事なんて、ふたを開けてみないと分からない。

はたから見たらどこも普通の家で幸せそうだ。

『年齢上がれば上がるほど結婚してもらえなくなるしさ。若い子には勝てないよ?多少は妥協しなきゃ。』

してもらう…という表現に納得いかなかったが、まぁそれが正しいのだろう。

25歳までに結婚していなかったら問題あり、みたいに思う風習が未だにある、この人口2万人ちょっとの田舎ではきっとこの考え方が常識的で正しい事なのだ。

東京の考え方とは信じられない位の温度差がある。

と言うか、東京に限らず世界から取り残されているかのような閉鎖的で差別的な空間がこの土地には未だにある。

ここはまるで時の止まった昭和の村のような土地なのだ。そしてきっとこれからも2~30年位は変わらないんだろうなと思った。

何か言いたい事が心の底にあった気もしたけれど、私は言葉を発する気力すら残っていなかった。

そんなこんなのアドバイスを沢山受け、疲れ切って脳みそがほぼ空っぽになったような私は我慢しながら11ヶ月もあのつまらない男と一緒にいた。

***

さて、ケンタッキーを食べる約束をした私達。

私はツイスターを頼んだ。

彼はビックリして、『え!?お肉食べないの!?』と小さな目を丸くして言った。

『私ケンタッキーではこれが一番好きなんだ~』なんて嘘を付く私をしり目に、彼は普通にオリジナルチキンを2つにチキンフィレサンドを頼んだ。

なんの印象にも残らない上にそれなりの気を遣う会話をしながら、私は手も汚すことなく上品にツイスターを食べた。

彼がチキンを両手で食べている所を見たくなかったので私は自分のツイスターにだけ集中して目線を一度も上げなかった。

そしてハッキリと思った。

もう、うんざりだ!!!!!!!

***

初めてケンタッキーを食べたのは小学校3年生くらいだった。

母親と姉の3人で食べた時に、『…食べ方汚いなぁ。もっときれいに食べなよ。』と母親に言われた。

ふと一つ違いの歳の姉を見ると、彼女はとても綺麗に骨だけ残すようにして指先もちょっとしか使わず肉を食べられていた。

私の皿の上には、骨だか筋だか衣だかよく分からない残骸が沢山残っていて両手もベッタリと光る油まみれだった。

何だか自分が物凄く恥ずかしくて、惨めで、どうしようもない感じに思えた。

それから家族でケンタッキーを食べた事は一度もない。

仲良しの友人と自宅でクリスマス会をした時も、付き合って3年の最高の彼氏の前でも、私はオリジナルチキンを食べられなかった。

たとえ私の食べ方がちょっと汚かったとしても、それをとやかく言ったり冷ややかな目で見たりする事がないような優しい人たちの前でも、私はケンタッキーのオリジナルチキンを両手で食べられない。

私よりも断然汚い食べ方をするマコちゃんの前でさえ食べることが出来ない。

手や口の周りをベタベタの油で光らせながらまさに『ガツガツ』という効果音が似合いそうな食べ方をする彼女は、

『あたしって食べ方野獣だよね~www』なんてガハハと笑う。

でも逆にそれが潔くて見ていて気持ちが良い気すらする。キャラクターの勝利だ。

私がやると、絶対こうはならない。皆が一瞬ぎょっとして空気が固まってしまうのが想像できる。

何故かはわからない。特別上品ぶっている訳でもお嬢様なわけでもないのに、なぜか私がやるとギョッとされる事が人生で多すぎる。

『うまい』という言葉を使った時、ある男の人は目を丸くしてその後少し眉を下げ『ユウカさんでもそんな言葉使うんですね。』と言った。

友人の前であぐらをかいた時も、ミニスカートをはいた時も、鼻をかんだ時も…

何故か私はずっとそうなのだ。

***

彼とケンタッキーに行ったその日の帰り道。

大した思い入れのなかった、彼氏とは名ばかりの男のLINEをブロック削除した。

ビックリする程何の感情も湧かなかったので、多分明日には名前すら思い出せないんじゃないかなと思った。

そして私は家から徒歩7分にあるケンタッキーに真っすぐ向かいオリジナルチキンが4つ入った得々パックを買った。

家に着いた途端、両手でむさぼるようにして無我夢中でチキンをほおばった。

油まみれでギトギトに光る手と唇。勢い余って顎にまで油が付いている。

どこが骨かイマイチわからず大口でかぶり付いて口から余計な骨を出した。まるで動物のような汚い食べ方。

何だか鼻の奥がツンとなり、目頭が熱くなった。

視界がぼやけてきたが、瞬きをしたくなかった。

その気持ちとは裏腹に瞬きをせずとも涙は溢れた。

いつの間にか私はわんわん泣きながらケンタッキーをむさぼっていた。

どうして泣いているのか自分でも良く分からなかった。

オリジナルチキンは、死ぬほどうまかった。

私は、好きな物を、好きな時に、好きなように食べたい。

綺麗に食べなきゃなんて思わずに、誰かの目なんか気にせずに、美味しい!!と言ってむさぼるように食べたい。

そうさせてくれる恋人も友人も勿論いると思う。

あの優しい友人達や家族や恋人と一緒にこの美味しいチキンを食べることが出来たらさぞかし楽しいのだろう。

でも私は。

一人で食べた方が美味しいし、幸せで、満足なのだ。

そう、いつだって問題は周りの人間ではない。

一緒に食べた方が美味しいね、と言える日はきっと私には来ない。

それは私が【そういう人間】だからだ。

ふと田舎の同級生に言われた『結婚してなくて可哀想。』という言葉が頭によぎった。

私って可哀想なの?という面くらった気持ちと同時に、自分は全く不幸でも可哀想でもないという事がハッキリと分かった。

でも、何だか可哀想なふりをしなくてはいけないような、そういった役を演じなくてはいけない気持ちになった。

それと同時に、本当は幸せで大してそんな事を気に留めていない事に罪悪感を覚えた。

そうあるべきはずの、正しい気持ちや行動が取れていない変わった人だという事を隠さなくてはいけないような、そんな感覚。

美味しい物を好きな人たちと楽しく食べる事が一般的に言われる【良い事で常識】なのは分かっている。

だからきっと私はそこからはみ出た少数派なのだろう。

『この楽しさを分からないなんて可哀想に。』と言われる事が苦しいのではない。

ではこの涙は一体何なんだろう???

皆の期待通りの反応が出来ない事への後ろめたさや罪悪感なのだろうか…?

誰とも会話せずに一人っきりで、染み出る油と柔らかい肉、しょっぱい絶妙なスパイスの衣にかぶり付く時。

それは皆で食べるよりもはるかに美味しく感じる。それは哀れな事なのだろうか…

私の中で、人生とケンタッキーには何か共通するものがあるように思った。でもそれってどういう事なんだろう?

答えが出そうで出ないこんな事を考えながら、私は死ぬほどうまいケンタッキーを独りで完食した。

***

おしまい。

 

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