※この物語はフィクションです。8月の誕生石のペリドットとペリドットの緑色のように薄い友情のお話。
マイカについての予備知識はこちらのブログでどうぞ→https://baroque-bright.com/very-short-stories/2022/02/11/2019-7-ruby-ring-ai/
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「奢る時はな、金額を口に出して言うのカッコ悪いって知らねぇのか?」
そんな言葉を言えるわけもなく「ご馳走様でしたぁ~」とヘラヘラ笑うのが精一杯だった。
だいたい、3人であれだけ飲んで6千円は、多分店員が会計を間違えている。
もしくは私が普段行かない学生向けのチェーン店の居酒屋ではそんなもんなのだろうか?
この歳になったら金銭感覚や生活水準は、上がる事はあっても下げる事は出来ない。
ごめんよ名も知らぬBOY。知らぬ、ってか覚えてないが正しいのだけれど。
もう一生会う事もないから別にいいよね。ラインは即ブロック。
あ、最初の自己紹介の時から偽名使ってたんでググっても何も出てこないですよ。
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「いやぁ、若い男の子と話すのも良いねー♡かわいかったー♡付き合わせちゃってごめんね♡」
ニコニコ笑いながら次のお店に行こう♪とルンルンしているマイカに、私はいつも若干のコンプレックスを感じている。
たった5分待ち合わせに遅刻しただけなのに、そのたった5分の間にあっという間にナンパされ1時間以上も居酒屋に付き合わされた。
て言うか、2対1なら諦めなよ。と思ったけれど、最近の若者には珍しくハートが強い人だったようだ。
ナンパをしてきた彼は23歳だという。若けぇ。
今年26歳のマイカは、どう見たって私より年下に見える。
そして25歳の私は、どうみても30歳オーバーに見える。
高校時代の私のあだ名は『師匠』だった。
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夢を追いかける“女の子”には、皆優しい。特に男性。
でも、夢をつかんだ“女”には冷たい。
“女の子”と“女”の境目は何ですか?
25歳にして独立し、人を雇うようになってきた私はきっともう“女の子”としては見てもらえないのだろう。
「その歳で年収1000万なんだろー?いいよなぁ。アフィリエイトってそんな儲かるの?」
毎回言われる嫌味に苦笑いしながら「いやぁ、いつ潰れてもおかしくないので毎日不安でたまりませんよぉ」と同じセリフをロボットの様に繰り返す。
てか、誰が金額調べたんだよ?誰にも何も言ってないのに。
そもそも、一日3時間睡眠がリアルに半年続いて移動時間に仮眠取る生活をお前は出来んのか?
そんなガッツもないくせに羨ましいとか言うな。
若者にありがちな寝てない自慢をする男性が、私は世の中で一番嫌いである。
年金なんて当てにできない暗い未来を、大人になる前から見せられている世代の私にはこの年収でさえ不安でしかない。
現金の価値はどんどん下がっていくから投資の勉強もしないといけないし、この先結婚も出産も出来ないであろう私は自分の老後の資金を必死で貯めている。
2,000万の貯金なんかじゃ到底安心できない。
___私はこんなに必死に頑張っているのに。
どうして同じくらいの年齢で、月収が軽く50万円以上あるキャバクラ嬢は“女の子”として扱ってもらえて、食事までご馳走してもらえるのだろう?
しかも多分彼女たちは税金なんか払ってない。
やり方すら知らないだろう。
それでも何かの“夢”の為にキャバクラという“バイト”を頑張る彼女たちは、みんなに応援される。
同じような金額を稼いでいたとしても、一方は夢の途中の苦労人で一方は自分で何とか出来た人なのだ。
「どうせ経費なんだからいいでしょ。」このセリフで、何度割り勘をさせられ奢らされたことか。
知ってるか?
お前が今やっすい居酒屋で奢ってあげた“女の子”は週4日しか働いてないのに先月60万位給料もらってて人の金でタワマンに住んでんだぜ。
馴染みのバーに入り、出てきたビールを飲みながらそんな事を考えていると、マイカが妙にしんみりした口調で話し始めた。
「ミドリちゃんは良いなぁ。私も、もっと頭が良ければよかったのに。」
「えー?私頭良くないよ。大学も出てないし、高校も部活推薦で入ったし。」
「そうなの!?なんか、早稲田とか慶応とかそーゆー人だと思ってたぁ。」
ピンクの可愛らしいカクテルを飲むマイカの口紅は、全く落ちない。
買ってもらったぁ♡ときゃぴきゃぴ騒いでいたDiorの口紅はそんなに性能が良いのだろうか。
それとも元々唇に打っているヒアルロン酸が発色を良く見せているだけなんだろうか。
「私さ、一体いつまでキャバクラで働くんだろうって、最近ちょー不安で。もう若くないのに、結婚できそうな彼氏もいないし。」
彼氏はいるけど『結婚できそうな』ではないというところが、彼女の正直で好きなところだ。
まぁ、彼氏ってどれの事?と聞きたくなるくらい沢山いたが。
「マイカは可愛いしそんなのすぐ出来るよ」と、私は月並みな事しか言えなかった。
だって、私とこんなにも人種が違う人にアドバイスなんてできない。
「芸能活動もそこまでうまくいってないしさ。夢を叶えるのって難しいよね。」
しょぼーん(´・ω・`)という顔文字のような顏をしながら彼女はさらに続ける。
「普通に色恋とかじゃなくてさ、良いお客さんで不動産会社の人が雇ってくれるって言ってるんだけど、ミドリちゃんはどう思う?」
そんな場所で出会ったわけわからん奴の会社になんかに就職すんなよバカ。ちゃんとハローワーク行け。
とは言えずに、
「ん~私は直接会ったことないし分からないかなぁ。マイカちゃんが良いと思うなら良いんじゃない?」
と、これまた親身とは言えない薄っぺらい答えをタバコの煙と共に吐いた。
***
マイカが本名なのか源氏名なのか、私は知らない。
友達の友達だったマイカは出会った時からキャバクラで使っている源氏名で自己紹介してきた。
でも友達もマイカの事をマイカと呼んでいたし、正直なところ名前なんてその人物を認識できる記号と言うか、あだ名くらいで別に良かった。
本名のフルネームを知ったところで一体何になるというんだろう?
仕事の取引相手でもないのだから時間をかけてググり粗を見つける必要はない。
明日にはどこで何しているのか、、最悪何があったって大して気にならない、そこまで感情移入しない相手に。
「じゃあ、なぜそんな相手にわざわざ時間を割いて食事に行くの?」と聞かれたら。
自営業で時間もお金も自由な私とつるめるのがたまたま彼女だった。
もしくは。
…本当はマイカの事が好き、、か、私はとても孤独なのかもしれない。
***
「8月、お誕生日でしょう?」
そう言って、ニコニコしながらマイカは小さな小さな箱を私に手渡した。
誕生日の話なんて一度もした事がないのに、どうして知っているんだろう?
ビックリしたのと同時に、実はとても嬉しかった。
「えー!!めっちゃ嬉しい!ありがとう。開けても良い?」
綺麗なオレンジ色のラメの入った滑らかなリボンをほどくと、ジュエリーが入っているスエード調の箱が出てきた。
そっと箱を開けると、マスカットの様なみずみずしい黄緑色のキラキラした石の付いた指輪がちょこんとおさまっていた。
「8月の誕生石ってペリドットなんだって~♡黄緑色って夏ーーー!!って感じするしピッタリだよね♡」
語尾に全部ハートマークが付いていそうないつもの甘ったるい声でマイカは言った。
「なんか、これ見た瞬間ミドリちゃんにあげたいなーって思ったの♡」
マイカの誕生日なんて知らないし、物をあげようと思った事すらない。
私は少しだけ、罪悪感を覚えた。
なんだ、案外いい子だよね。いつも心の中でバカにしてごめん。
そして頭の片隅で、この子は私の会社を突き止めHPをググってプロフィールを読んだのでは?と少し怖くなった。
***
3週間ほどたったある日、私はマイカのラインがいつまでたっても既読にならない事に気が付いた。
いつも返信は早くない方だったが、ここまで日にちがあくのは初めてだった。
もしかしてブロックされているのか?
誕生日プレゼントまでくれるのに?
モヤモヤしながら、久しぶりにいつものバーに顔を出した。
店に着くと、顔なじみのメンバーが何人かいた。
そして私の顔を見るなり「ねぇ!!元気だった!?大丈夫!?」と口々に言われた。
「え?何がですか?」
「えっ!?知らないの!?」
・・・マイカは、店のお客さんかファンの男性に刺されたらしい。
「ほら、あの子って“芸能人になりたい人”やってたじゃん?」
“芸能活動”ではなく、“芸能人になりたい人”という的確で小ばかにした言い回しが気になったが更に話を聞く。
「インスタとかTwitterとかで色々分かるらしくて、ストーカーのファン?お客さんだか知らないけど貢いでたおじさんにめっちゃ刺されたんだって。」
そんなワイドショーが大好きそうなネタ、別に最近テレビで見てないけど?
「しかも、友達といる時に刺されたんだって。その友達ってミドリちゃんじゃないかって話だったの。」
「私じゃないよ。マイカとはもう3週間以上あってないし連絡も取ってなかったから。」
私は、左手の中指に付けたペリドットのリングを見つめた。
どうして他のメンバーが知っている事を、私は知らなかったのだろう?
「地下アイドルって、お金の為にパパ活とかみんな普通にしてるしね。あの子の場合、更にバイトがキャバクラだし。」
誰もマイカから連絡は来ていないし、むしろラインも繋がらないのにどうしてそんなことを知っているのだろう?
「なんでそんな事知ってるの?誰情報??」
「Twitter、見てないの?あの子自分でTwitterに書いてその後一切更新ないよ。」
SNSを鵜呑みにする人間は、みんな馬鹿だと思っている私は「へぇ、そう。大変そうだね。」と冷めた返事をした。
つめたっ!!とドン引きする周りを気にすることなく、私は何故か目に付いたマスカットのお酒を頼んだ。
見せられた最後のTwitterの写真は、昨年の夏に私と撮ったサンダルの足元の写真だった。
『みんなに心配かけてごめんなさい。いま病院にいます。しばらくは立ち直れません。応援してくれてたみなさま、本当にごめんなさい。さようなら』
私の足首には特徴的なタトゥーが入っている。
これを見て、皆は私と一緒にいると思ったのだろう。
でも一年も前に撮られた、ただの『画像』。
それに意味深な言葉を付けて発信しただけ。
『刺された』とは一言も書かれていない。
このSNSを見た誰かが彼女の仕事や人間性で勝手にあったことを想像し、その話に尾ひれを付けてどんどん真実の様な物語が出来上がったのではないか?
コメント欄には十人程度のファンとみられる人たちの心配そうなコメントがあった。
最後の更新は3週間前。
この更新の前に、本当は刺されたというツイートがあったようだがすぐに削除されてこのツイートになったらしい。
一体、誰の目撃情報なのかは定かではないけれど。
私は、いつもは頼まない甘ったるいマスカットのお酒を口の中に含み、ゆっくりと飲み込んだ。
フルーツ特有の爽やかな甘さが、ビリビリと舌に残った。
マイカは、多分刺されていない。
勘の良い私の予想する事は、大体当たっている。
あの子は、根っからの嘘つきで、クズで、どうしようもない人間だと思う。
でも、良くも悪くもそういう生き方しかできない人間なんだろうなと思った。
そして正直、一瞬だけ、私はあの子に憧れていた。
人としてやってはいけないような事を平気で出来る図太さや、人に甘えてばかりの寄生するような生き方。
「あなたがいないとダメなの♡」と誰にでも勘違いさせるような“メンヘラ守ってちゃん”を演じる自己中。
私がやりたくても、なりたくても、必死でこらえて我慢している事を平気でやってのける。
本当は、そんな姿に少しだけ憧れていたのだ。
“女”と“女の子”の違いは年齢ではなく、他人に上手に甘えられるかどうかなのかもしれない。
だから私は、きっとこの先もずっと“女”なのだろうな、と甘ったるい酒を飲みながら実感した。
私が全身全霊の勇気を振り絞って『あなたがいないとダメなの』と言ったところで、いいとこ既読スルーだろう。
私はカクテルよりも、キレッキレの苦みのあるビールを飲む女なのだ。
___入院したのは刺されたからじゃない。
どの病院にいるのか私はすぐに見当が付いた。
さっきから黙っているサトコさんを見て、あぁ、サトコさんも多分気付いているか本当の事を知っているのだなと思った。
こんなとびっきりのスキャンダルの真実を知っていて静かに微笑みそこにいるサトコさんは、やっぱり出来る女だなと思った。
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パパ活でも軽い女でもなく、あの子は単純に、自分に優しくしてくれてお金もある男性が『みんな』好きなのだ。
目の前にいるそういう人が、目の前にいる時だけ、みんなもれなく好きなのだ。
何年か…あるいは何か月か経った頃に、また別のアカウントを作ってキラキラのSNSを更新し続けるのだろう。
今までの一切をなかった事にして。
名前なんてどうでもいいと言いながら、私はマイカをググっていた。
あっという間に出てくる沢山の画像。
『まいまいのぷろぐ♡』『♡まいのおへや♡』『まいかの♡ぶろぐ』『まい♡ブログ』
あの子のやりかけのブログやTwitter、ホームページのURLは、数えたらきりがないほどインターネットの中に溢れている。
最後まで何かをやり通すことなく、やりかけて飽きてはまた別の物を作り、ダメになったらまた新しく作って過去をなかったことにする。
それがあの子なのだ。
残念だけど、一生“芸能人になりたかったキャバクラの子”なのだろう。
それでもそうして転々と、何のためらいもなく生きていくあの子に、私は嫉妬していたのだ。
自分とは全く違う、自分が成り得ない存在に対して。
ピンポン、と聞きなれた音がスマホから聞こえた。
『ID検索で友達登録されました』の表示の後に、ハートがいっぱいの文章が見えた。
『ミドリちゃん、元気~??(。・ω・。)ノ♡今日何してるの~??♡♡♡』
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さようなら、マイカ。
もう二度と会う事もないでしょうけれど。
ある経営者の先輩に言われて、ずっと心に残っている言葉がある。
『類は友を呼ぶ。良くも悪くも。』
仕事や様々なプレッシャーから逃げたくなった時に、ふと、私はマイカの様な生き方がしたいと思ってしまったのだと思う。
私と正反対の、憧れの、生き方。
でも、歯を食いしばって頑張るのが私なのだ。
自分がしっかりしなくては、しかっりした志の人間は寄ってこない。
自分が弱気な時、堕落するとき、諦める時に、同じような人間しか周りにいなくなってしまう。
だから、サヨナラ。
私はこれからも、自分の周りに置く人間を選んで生きていくと思う。自分自身の為に。
このバーにも、きっともう二度と来ることはないだろう。
ペリドットの石の効力は、嫉妬や妬みからの解放、人間関係の改善らしい。
さらに。
貰ったペリドットのリングのサイズが左手の中指にしか合わなかった事に、私は運命を感じずにはいられなかった。
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おしまい
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