さて。先日からスマホが大変な事になりデータも連絡先もすべて失ってしまった私。
LINEは復活しましたが、iPhoneではなくバックアップもとっていなかったのでデータフォルダに想い出の写真はなく、楽しかったトーク履歴も消え、淋しい事この上ないスマホになりました。笑
この度新しくiPhoneに変えたので、機械音痴な私は慣れるにまたとてつもない時間がかかる事でしょう…
しかし!!写真の性能は凄いのでこれから沢山素敵な物を撮ってUPしていきたいなと思います♡
タイトルと全く関係ない雑談が入ってしまいましたが(^_^;)今回のお話はこのブローチネックレスのお話。
私らしくない作品だなー。という感想も多いと思いますが、実はこうゆう感じも大好きなんです。
笑顔はじける友達がモデルをしてくれました☆いつも撮影に協力してくれて、本当に感謝です!!(´;ω;`)
これはシャンパンやスパークリングワインのコルクを使ったブローチ。
レースのネックレスの上から一つずつ着けると、まるで大きなネックレスの様にも見えます。
色んな組み合わせが出来るのでコーディネートの幅が広がりますね♪
何でこんなものを作ったか。
実は10月にハンドメイドサイトのminneでハンドメイドアワードというコンテストがあったのです。
(昨年エントリーされて授賞式に行ったブログです。→https://baroque-bright.com/grain/minne-award-ceremony-2017-12/)
今年もそれに応募するのに制作しました。残念ながら今回は予選落ちになってしまいましたが(^_^;)
※ミンネでの商品ページはこちら→https://minne.com/items/15871247
実はこれ、一番初めに作ったのは学生時代。
何の課題でもなく、本当に純粋に自分が欲しくて作った物でした。
学生だった当時、20歳のお祝いにシャンパンをいただきました。皆で一緒に飲んだ大人の味。ちょっぴり照れくさくて、でも嬉しくて。
君が主役なんだよと、あんなに盛大に祝ってもらう事はもうないのかもしれないと思うほど、華やかで本当に特別な時間でした。
その時のコルクがどうしても捨てられなくて。何か形にしたくて。
人生で色んなお祝いをいただいてきましたが、物ではなく形に残せない事も、沢山もらってきました。
華やかで楽しく複雑な時間。若い時にしか出来ない良い事も悪い事も、今思えば全て良い経験で良い時間だった。
学生時代を含め、ほとんどが渋谷と池袋で作られた、私の思い出。
今も良く見る痛い粋がり大学生達みたいに、きっと私もダサくてカッコ悪かったんだろうな(笑)
皆で飲んだら一瞬で消えるシャンパン。今あの味を思い出せと言われても、きっと色鮮やかには思い出せない。
だから、やっぱり私はモノにして、カタチにして、手元に残しておきたかった。
私は普通よりちょっとバカだから。記憶を長く保てない。他の事で押しつぶされて良かった事も一瞬で忘れる。
だからこれを見たら思い出せる気がして。そんな気持ちで作ったのがきっかけです。
こんなに沢山のコルクを一人では集められないので、今回沢山の友人に協力してもらいました。
コルクの模様がとてつもなく可愛く見えるのって私だけでしょうか…??
ドンペリのコルクも結構いただいたのですが、実は他のスパークリングワインのコルクの方が模様が可愛かったので今回使っていません(^_^;)
協力して下さった皆さん、すみません・・・💦
でも、一つ一つのコルクのエピソードを聞くと、本当に楽しい!!
大笑いしてしまうものから、心にグッとくる、長い恋愛小説が書けそうな物までありました。
全てのコルクが持っているエピソードを皆にお話したいけれど、時間が足りません。
でも、今度コルク集めに協力してくれた友人に会ったら、じっくり話してあげたいな。とてもロマンチックなお話があったから。
誰かの為に、特別な時間を過ごしたいと思う。これがこのコルクたちに共通した想いです。
この中に自分の為に自分で開けられたコルクはありません。
全部、誰かの為に誰かが買って開けてくれた物です。決して安い物ではない物も中にはあります。
飲んだらなくなってしまうこの一瞬の贅沢を、誰かの為にあげたいと思う、その気持ちに、私は何だかグッときます。
そんな事をしてもらえる人はきっと、相手にとって本当に特別な存在なんだと思うのです。
それが仮に相思相愛ではなくても(笑)
色んなストーリーを持ったコルクたちですが、ここで私が個人的に一番興味深かったものをお話します。(本当はロマンチックなのを話したかったんだけれど。)
それは、相思相愛ではなかったお話。
ある女性が開けてもらったこのシャンパンは、普通の酒屋さんで購入する7倍の金額だそうです。
高級レストランでもそこまで高くはならないだろうし、7倍って…
・・・そう。彼女がいただいたこのお酒はキャバクラで開けられたものでした。
ドン・キホーテで買えばもっと安く買えるであろうこのお酒を、どうしてそんな値段で飲むのか。
答えは『誕生日の花束と一緒』だそうです。
私は花が好きなので、花束をもらったら純粋に嬉しい。枯れるまで毎日愛でるし、なるべく長くもつようにお水をあげます。
でも彼女たちは貰ったその日にはお店のゴミ箱に捨てるそう。嬉しいけど、邪魔だし。と一言。
『ねぇねぇ、ひどくない?お花は生き物なのに。しかもプレゼントなのに。』と、この話をある男性にしたところ、男性側からの意外な意見がかえってきました。
『でもさ、花束ってそうゆうもんじゃない?』
『・・・』
私はあげた人側の気持ちになって『酷い』と考えていたのですが、同じあげる人側の彼はこう続けました。
『俺の場合だけど、俺はお花をあげたい訳じゃないんだよ。ただ、おめでとうって気持ちをお花で表現しただけで、その時が華やかになればいい。』
『だから、ぶっちゃけその後すぐに捨てられたとしても全然何とも思わない。あげたその瞬間にはテンション上がって本当に喜んでくれてるんだから。』
悔しいけれど、なるほど、と思ってしまった。ぐぅ、と口から声が漏れそうだ。
確かに、開店祝いとかによく見る、あの大きな花輪と同じ役割なのだと言われたら、納得してしまう。
私は、お花が綺麗だから、単純に花という『モノ』をあげたいと思う人間です。
海で拾った綺麗な貝殻を、『綺麗』と思ったからあげる。それと同じようにシャンパンも『高くて美味しいから』、『飲むために』あげるのだと思っていました。
しかし。
その子の為にシャンパンを開けてくれたお客様は、お酒が飲みたかったのではなくて。
飲ませたかったわけでもなくて。
その時の華やかな時間をあげたかったのかもしれない。
『ぶっちゃけ、ドンペリ美味しいなんて思った事一度もないわ。なんであれ、あんなに高いの?』
と、サラッと言ってのけた彼女。
真っ白な肌と、同じ人間とは思えない奇跡的なスタイル。長い睫毛に日本人離れしたくっきり二重の大きな瞳を持つ彼女は、何だか神々しくさえ見えた。
7倍の値段、と聞くと、7倍の愛情だと思ってしまうのは、私が単純だからなのだろうか?
この時の話は、今まで聞いたほっこりする愛のエピソードも霞んでしまう位、興味深い物でした。
よく聞く女性側の話よりも印象に残った、あげる側の男性の気持ちを語ってくれた彼の考え方が一般的なのか気になり過ぎて、色んな男性に聞いた結果。
半分くらいの方がこの意見でした。衝撃。本当にびっくり。想像もしていなかった。
きっと私があげる立場の男で、捨てられてるのを知ったら、発狂してるだろうな。(←器が小さい)
でも。
あれ??
相思相愛のカップルが、誕生日のお祝いやプロポーズに開けてくれるものも、よく考えたらそうではないか?
味が大好きなわけじゃなくて、雰囲気を、空間を、特別で華やかな物にしたい。そんな気持ちから開けている。
そうだ。私もそうだった。だから、味を覚えていないんだ・・・!!!
カップルや家族のお祝いだと大して気が付かなかったこの事実。
そんなに安くない物だし、缶ビールのように毎日飲めないからまるで特別で美味しい贅沢(フォアグラとか、値段の書いてないお寿司とか)だと思っていたけれど。
よく考えたら実はそんなに毎日飲みたいほど美味しくはなかった!!!(私がバカ舌なだけかもしれないけど)
きっとこの女の子の話を聞かなかったら、何だか薄っすら、ふわふわ、ぼんやりしたままだった気がする。
こんなにお祝いの花やシャンパンの事について深く考えたりもしなかっただろう。
そう、深く考えない。
共感や理解をするかという話とは別に、単純に一つの物事について色んな方向から話を聞き考えるという事が、最近すごく面白いなと思えるようになりました。
独りで仕事をしていると交友関係も狭いし、同じような価値観の古くからの友達しかいない。
だからここ数年で、大人になってから出会った面白いあだ名を持つ友人たちは本当に貴重で大切な存在です。
(あだ名のクセが強すぎて分かってしまいそうなので書けませんが。笑)
違う価値観や豊富な人生経験。私にはない、どんな人でも楽しく受け入れ、受け流す、広い心をもつ彼ら、彼女たち。
本当に尊敬するし、憧れます。きっと、自分が絶対になりえないものだから憧れるのでしょう。
私は、基本的に好き嫌いが激しく誰とでも仲良くすることができません。昔から友達も凄く少ないです。でもその狭い空間にとてつもない安心感と平安を感じます。
そんな私とでも仲良くしてくれる人間力に優れた友人たちに、私は本当に感謝しています。
独立してから色々あって、独りぼっちに感じてしまう不安で孤独な夜も、深夜の2時にも関わらずお茶しようよーとファミレスで話を聞いてくれる友達がいると、自然と明るくなれます。
きっと何十年たっても、遠く離れた場所に行ってしまっても、こうして孤独にさいなまれた時に力になってくれた友人たちの事を忘れる事はないでしょう。
私がそんな時間を忘れる事がないように、このコルクの一つ一つは、記憶に残る美しく華やかな時間の証の様な気がします。
それにしても、やっぱり私は7倍の愛情だと思ってしまうから、そんなことされたらちょっと好きになっちゃうな。笑
かけられた金額の分だけ愛情を感じてしまうなんて、私は現金な女なのかもしれないけれど。
書いてみたら、色々考えてしまった今回のブログ。
あぁ。
そうだなぁ。
壊れてしまったスマホの様に、復元できずに忘れていくような写真の思い出は、もしかしたらそんなに大したことがないのかもしれない。
写真がなくても、今もなお当時の情景が思い浮かび、頭の中でその時流行った音楽が流れ、甘い香りを思い出す。
消えてしまったけれど、沢山のイルミネーションや真っ白で引くほど高く降り積もった雪も。
初めて見たねぶたや、夏の海、花火大会、綺麗な夜景。今でもちゃんと思い出せる。
そんな想い出が自分の中にあるのなら、クラウドに保存できなかった数千枚の写真はもしかしたら全く惜しくもないのかな、と思うのでした。