今日は私の割と得意なWAXでの制作工程をご紹介したいと思います。
WAXとは金属にする前に形を作るロウソクの蠟のような素材です。これを削ったり溶かしたりくっ付けたり…そうして形が出来上がっていきます。
本当はブロックワックスというもっと硬いWAXを使って作った方が削る事も出来るので細かい装飾が出来るので好きなのですが、私が主にしている作り方は“溶かして盛る”だけ、というものです。
この方法だとニュアンスが出てそれはそれで良かったりするのですが、時間が出来てゆっくりじっくり何か自分用に作る事が出来るなら、硬いWAXで削っていくやり方も、久しぶりにしてみたいなぁと思ったりします。
このWAXでパーツを細かく作って組み立てたりして…。お花のようなパーツは、雫型のラピスラズリの石枠の土台になります。見えないところにも飾りや模様を入れたいのです♡
このような状態にします。そしてこれを金属に鋳造します。こちらも1点モノのカメオを使ったペンダントトップ。石はラピスラズリとガーネットにしようかなと思っています。
でも、ブルーのトルマリンも凄くシックな感じになって素敵なんだよな…。石選びはいつも迷います💦決めてから作っているはずなんだけれど、いつも金属にした後、『あれ?こっちの石の方が綺麗かも…?』と心変わりしてしまうのです。(^_^;)
こちらは14金で制作したので、変色やアレルギーの心配がメッキに比べてあまりありません。(個人差はありますが) カメオやラピスラズリはメッキ直しのできない宝石なので、そういった物はこれからなるべく10金や14金、18金で制作したいと思っています。
細く華奢で、まるでレースの様なデザインで制作することで見た目の美しさと地金の軽さでお値段も抑えていく良いとこどりになればいいなと。
ちなみに10金で制作すると18金よりも硬いので強度があり、より細く繊細なデザインが出来るのです。なので、CADのデータ物でもう少しカチッとしたデザインを考案中です。こちらもお披露目が楽しみです(*^▽^*)
ちなみにWAXを溶かす機会はこちらのワックスペンとよばれる工具。先端が真鍮で出来ていて、電気でそこが熱くなりWAXが溶けるのです。何だかんだで8年くらい前に買ったのがまだ使えています。
この先端の真鍮も自分で削って使いやすい形に加工します。ジュエリーの職人さん達は、ヤットコとかも自分で加工して作っています。
私も学生時代に2本だけ加工したのですが、もうやりたくない…(-_-;)凄く難しいうえに面倒で時間もかかるし…。なんで良い感じの完成品売ってないの⁉って思っていましたが、職人さんの癖とかやりやすい形が人によって違うので、同じ既製品から更に加工したりするようです。
こちらがヤットコです。真ん中の2本が学校で加工した物です。あまり使っていないものはお手入れもしていなかったのでちょっと錆が…(笑)
私が作れる物はハイジュエリーのような精巧な物ではないので本当に簡単で大まかな石留しか出来ないのですが。
手芸品店で売っているヤットコも使いやすいので私はこっちを使ったりもしています。丸めようのヤットコは、先端をヤスリでガリガリ削って凄く小さい丸を作れるように加工したりしています。
他にも学生時代に購入させられた(笑)工具一式があるのですが、ほとんどWAXペンとヤスリ、ピンセット、ハンドバーナー、リューター、スリ板くらいしか使いません。(しかもリューターとWAXペン、バーナーは個人的に買ったものだし。)
専門学校と言っても、ジュエリーの学校は道具や素材がそもそも高いので、他の専門学校に比べ出ていく出費がいちいち大きいのです。
学校で何故買わせた⁉というような、1回しか使っていない工具が家に沢山あります…。こんなに使わないなら学校で貸し出しという方法にしてほしかった…。しかも鉛筆とかケント紙もわざわざ学校推奨の物を購入したけど、実際は自分で文房具屋さんで安く購入できたもの多数…。
そう言えば、教科書として購入した高価な本も、古本屋さんで500円程度で売っていました(笑)見つけた時めっちゃショックだったっけ(笑)
途中から愚痴になってしまいましたが(笑)
今になって思うと、私の学費は専門学校にしてはかなり高額だったのだなぁ。としみじみ感じました。
この歳になって思うのですが、本当にやりたい事がある人はどんな事があってもやるものです。金銭的な事情で進学できない人も、私の周りにはいました。
でも、どうしてもこの仕事がしたい!勉強がしたい!という情熱のある人って、環境に負けないガッツがあるのです。沢山の努力と、そして知恵も。気合で色々乗り越えていくと、自然と知恵もつく物なのです。
受験のような時の勉強とはまた違う、生きていくための知恵が。
当時18歳の私にそのガッツがあったかどうかは少し考えてしまいますが、この仕事に出会えて本当に良かったと思います。
文句も言わず東京に送り出してくれて学費を払ってくれた両親に感謝しなくては。そして教わった技術を活かして仕事をしていくことで、いつか両親に学校に行かせて良かったと思ってもらえたら良いなと思うのでした。