写真は、ミナミちゃんという女の子がくれたシールを貼ったシャーペンです。約14年もたって、色あせたティンカーベル。
当時、シャーペンにディズニーのシールを貼って自分流にデコるのが流行っていて、私は高校受験や検定試験の時いつもこのシャーペンをお守り代わりにしていました。
彼女はきっと、こんな昔の物まだ私が持っているとは夢にも思っていないでしょう(笑)
でも、そのシールをもらった時凄く凄く嬉しくて。大人になった今も、大切に持っているのです。
先日、といっても結構前なのですが(笑)中学時代の友人数人と集まり新年会をしてきました。約2年半ぶり?の再会。
卒業してから約15年。変わったねー!と言いたいところですが、皆ちょっと太ったり痩せたりそんなもので、全然変わっていません。
何年かに1度は会ったりするのですが、地元を離れている私はそういう時が本当に楽しくて嬉しくて仕方ありません。
友人の子供がもう小学校に入ると聞いてビックリしたのと、もうそんなに時間が経ったのかという不思議な気持ちでした。
今街で中学生を見ると、当たり前ですが本当に若く幼い“子供”という印象です。
でも当時の自分はそんな感覚がなくて、もうあまり大人と変わらないと思っていました。
子供ながらに自分たちの世界があって。今だと馬鹿みたいに思える事も本当に真剣に悩んだり苦しんだりしていたな~とハッキリ思い出せます。
こんな気持ちも、きっと10年後には懐かしく思って、『私たち30手前で子供だったよねー』とか言うようになるんだろうか…。
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私が自分でアクセサリーの仕事を始めたよと言うと、みんな心から祝福してくれました。
本当はずっと、みんなに言うのが怖かったのです。
昔、仲の良かった友人に独立したいという夢を語った時、馬鹿にされました。
若かったし、悪気はなかったのだろうけれど私はとても傷つき自信を失い、夢に対して躊躇してしまいました。
また、独立したての時に『生活できんの?それ。いくら稼げんの?』というオブラートが一切ない言葉を沢山受けてしまったため、人に話すのが嫌になってしまいました。
嫌になったのは、私が当時繊細過ぎたからというのと、(今は全く繊細ではありませんが。笑)正直自信がなかった事をズバズバ言われて不安な気持ちになったからかもしれません。
あんな思いをもうしたくないから、ある程度かたちになるまで誰にも言いたくない。
そんな気持ちがあって、今まで地元の人には言いませんでした。
みんなに言う時は、誰に何を言われても自分自身が納得し、傷つかないような自信を持って受け答えできるようになってからが良かったのです。
1年続けてみて今はそうできると自信を持てたからこそ、頑張っている自分や自分の仕事を知ってほしいと思いました。
友達は早速Facebookにいいねを押してくれたり、応援するねと言ってくれました。
本当に、本当に嬉しかった。
夢を持つという事が大人になると、どんどん難しくなります。それは、生活の為や守るべき誰かの為、自分の事だけではなく周りの人の事も考えなくてはならないから。
夢を追いかけるには気持ちだけではなく正直お金もかかるし、失敗した時の軌道修正も歳をとるにつれてかなり難しくなると思います。(私の祖母も母も、当時私が会社を辞める事をあまり良く思っていませんでした。)
応援してくれる人は減っていくし、逆に自分を大切に思ってくれているからこそ、無責任な事は言えない、安定した道にきちんと進んでいって欲しいと願う人もいます。
でも、私はもし自分の周りに夢を追いかける人がいたら全力で応援してあげたいと思う。例えそれが大きくて無謀にさえ思える事でも、頑張れ、あなたなら出来るよって言ってあげたい。
夢を語る人は、たとえ上手くいかなかったとしても、応援してくれた誰かに『あなたが出来るって言ったせいだ!』なんて、言わないと思うんです。
決めるのは全て自分で、周囲の人から押し付けられた事ではない。逆に、自分がやりたくない事を周囲に無理やり押し付けられて自分のしたい事を出来ずに大人になった時、『こうなったのは全部あなたのせいだ!』と言いたくなるのだと思います。
実際、あまりやりたくない習い事を母親の期待に応えたくて10年間続けていた私は、それを辞めた時にそう言いました(笑)
夢の話をしていていつも思うのですが、AKB48があんな風になるなんて結成当時は考えられなかった。(私だけかもしれませんが)秋葉原の会えるアイドルなんてメイドカフェ的なものの延長だと思っていたし、外でチラシ配ってた女の子が、まさか、まさかこんな国民的なグループで紅白に出るとか思っていませんでした。
なんなら、ちょっと痛い子だなとか思って通り過ぎていたのに…。(←失礼)
あー、あの時写真とか撮って貰えば良かったって毎回思うのです。(-_-;)笑
AKB劇場での初公演の観客はたった7人だったそうです。有名な話ですよね。そんな中、諦めずに誰に何を言われても自分を信じて進むことが出来たというのは本当に凄いと感心してしまいます。
才能云々ではなくて、続けることもまた才能の一部なのだと思いました。
芸人の永野さんも、きっとお笑いの才能があったのではなく“好きな事を続けていく”という才能があったのかなと。芸歴20年にして始めてTVに出たそうですが、19年目で辞めていたら、きっと今の現実はなかった。
まぁ、彼は長年のバイト経験から会社という組織、上下関係、どのコミュニティにも上手く入れず、自分は社会不適合者なので残された道は少し特殊な世界である芸人しかない、と思ったそうなのですが(笑)ちょっと気持ちは分かります。
話が脱線しそうなので戻します(笑)、私は、特に際立った才能が自分にある!と自負している訳ではないので、続けていく才能が自分にあるかはわかりませんが、そういう努力を日々していきたいと思います。
いつか、応援してくれていた周囲の方々やお客様たちに大きくなったわね…!と言っていただけるように頑張りたいです(*^_^*)
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話は新年会に戻りますが、中学時代なんてたったの3年間なのに、どうしてこんなにもハッキリと色鮮やかな想い出が沢山あるのでしょう?私だけなのかな。
当時流行っていた歌や洋服、自転車に乗りながら聞く、夏の夕方の虫の音や青々とした葉っぱの匂い、朝の通学路の山鳩の声、意地悪された女の子の顔、親友がくれたシールの柄、初恋の男の子と一緒に遅刻して学校に行った時のドキドキと嬉しさ。
思い出すだけで、幸せで、でも切なくて、胸がいっぱいになってしまう。
そんな時代を共に過ごしてきた友人と、15年後もこうして会う事が出来る。
変わる事も沢山あるけれど、変わらない事も沢山ある。
沢山、沢山話をして。あっという間に時間がたって。
みんなそれぞれの人生があって、生活があって、きっとそれぞれ悩んでいて、それでいて今はみんな幸せなのだなと思いました。
同じ土地に生まれ育ち、全く違う時を過ごしながらも、今こうして一緒にお酒が飲めるという事に喜びを感じながら。
中盤から楽しすぎて酔っぱらい、お酒をこぼしたり同じことを何度も話す私にも怒らず付き合ってくれた優しい友人達(笑)
いつからこんなにお酒が弱くなったのか…。18時集合で帰りまさかの3時!どんだけ話してるんだ(^_^;)中盤の4時間くらい全く覚えていない空白の時間が…(笑)
また近いうちに、彼女たちに会いたいなと今から楽しみに思うのでした。